グローバル人材に聞く!外資系金融機関で働く高田さんの英語学習歴<前編>
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最終更新日:2014/06/09
こんにちは。英語学習コーチのタニケイです!
いま現在、英語を仕事で使っている人で、長期の留学経験がない人に、英語をどうやって身につけたのか、そして、効果があった学習法などをお聞きする「グローバル人材に聞く」シリーズ。
今回インタビューさせていただいたのは、外資系金融機関で働く高田さんです。忙しいお仕事の合間にインタビューをさせていただきました!
外資系金融機関で働く高田さんの英語学習歴インタビュー(前編)
― 高田さん、よろしくお願いします。それでは、学生時代のお話から伺っていきたいと思います。元々英語は得意だったのですか?
大学受験の時は、英語は得意科目でした。ただ、しゃべれる必要はないので、本来の発音ではなく、自分で覚えやすいように発音を作って覚えていました。和魂洋才で海外の先進的なことを勉強する必要はあると認識していたので、読み書きは必要と思っていました。でも、英語を使って話す必要はないと思っていました。
― 大学生の時には英語に触れることはありましたか?
大学の時は英語をあまり勉強しませんでした。大学の教養課程の英語の講義に関しては、授業が嫌いだったわけではないものの、体育会に所属していたため授業にあまり出席できませんでした。出席日数が足りずに必要単位を終えるのに4年かかりました。
ゼミでまれに英語の教科書や論文を読むことはありましたが、あまり苦にはなりませんでした。話す・聞くのは、ストレスが溜まる(笑)ので、避けてきました。「なんで、人の国の言葉に合わせなくてはならないんだ」と思いました。
大学は経済学部に所属して、政治学を勉強しました。投票行動の実証分析がゼミのテーマでした。
― 大学の時に留学生はいなかったのでしょうか?
たくさん、いましたよ。実は留学生と関わりが深く、留学生の生活のサポートをしたこともありました。色んな考え方に触れると、楽しいですからね。もちろん日本語を使ってです。彼らも日本に来たのだから、日本語をしゃべらないといけないですからね。留学生の日本語力が、私の英語力よりも明らかに劣っていて、困っている場合は、当然、英語使いましたよ。異国地で不安な気持ちがあるのはわかるので、自分のポリシーなんかより、友人としてなにか助けになりたいという気持ちが先行しますよね。ただ、そもそも自分で作った発音なのであまり通じてなかったかもしれません。
― 大学時代は海外に行ったりということはしなかったんですか?
いえ、実は3年生の時に、アメリカに行って就活をしたことがあります。
― え?!就活したんですか?
大学3回生のとき、新聞記者になりたいと思っていました。日本の新聞社を受験するまでの間に時間があったので、イラク戦争が始まる時のアメリカを見たいと思って、渡米しました。ホワイトハウスの前で野宿する計画を立てました(笑)。親友と2人で、戦争が始まる1ヶ月前にアメリカ(ロサンゼルス)に到着しました。ホワイトハウスの前にずっとい続けるのも暇なので、当初、友人と米国大陸を横断しつつ観光をしていました。しかし、途中から別行動をして、「その間に新聞社を受けよう!」と決めました。いきなり新聞社に行って、「入社したい」と言って、警備員に止められることもありました。その後は、インターネットで、就職面接を申し込みましたけどね。英語がしゃべれるわけないので、文章を書いて、それを覚えていきました。「1年勉強すれば、しゃべれるようになるので、採用しろ!」と。面接のはずが途中から職場体験(会社見学)みたいになってしまったところもありました。全部で8社ほど訪問しました。
帰国した直後は、「少しは英語を話せるようにならなきゃな」と不覚にも思ってしまいました。危うく状況に流されるところでした。そう考えると、大学時代は旅行で結構チャレンジングな英語への接し方をしていたようです。
ちなみに、ホワイトハウスでも面白い経験をしました。ホワイトハウス前で、イラク戦争に対する反戦運動をやっていたので、応援のために大学の応援歌を演武しました。そこにいたアメリカンユニバーシティーの学生が感動して、寮に招待して泊めてもらう、なんてこともありました。
― そのあと日本に帰ってきて、結局就職はせずに大学院に行かれたんですよね?
アトランタの新聞社で働いている日本人に、「アメリカで働きたいのなら、覚悟しないといけない。同じ能力なら現地の人を優先するのだから、自分にしかできないスペシャリティが最も大切。それを磨かないといけないよ」と言われました。正直、私にとってのスペシャリティが何かもわからず、社会にすぐにでるのではなく、もう少し大学で自分を見つめたいという気持ちが強くなりました。もともと、新聞社に入れなかったら、大学院に進学しようとは思っていましたけどね。
それと、結局、アメリカに滞在したせいで、日本の新聞社の出願期間を過ぎてしまい、日本の新聞社は受けることができませんでした(笑)。
― 大学院では英語に触れる機会はあったんですか?
大学院では金融工学の研究をしました。修士論文は日本語で書いたのですが、先生からアメリカのジャーナルに出そうと提案されて、修士論文を英語に書き換えました。分量は、10枚くらい(1~2万字くらいかな)と思います。大学院時代に、英語の教科書や論文はたくさん読んでいたこともあり、それほど苦労しませんでした。まさに日本のすばらしい教育のおかげだと思います。
1社目の会社での英語との関わり
― では就職してからのお話を伺いたいのですが、最初に入った会社では英語を使うことはありましたか?
1社目は、地方銀行に入社しました。為替ディーリングの業務に就いたのですが、新しい取引先と契約書を結ぶ際に、英語を使うことは何度かありました。交渉自体は日本人とやっており、外資系金融機関と契約を結ぶ時も窓口は日本人同士でした。契約書はかなりの量があって、とても全ては読んでいられなかったので、要点だけを読んでいたという感じです。
― そのあと転職されたのですよね。
地方銀行に2年半勤めた後、転職しました。もともと地方出身で、金融を通じて地元の中小企業を支えたいという気持ちをもっていました。今まで育ててもらった地元に対する感謝の気持ちを還元しないといけないですからね。
しかし1年目から東京配属に決まり、通常の銀行業務ではなく、為替ディーリング、その後は有価証券の運用業務をやることになりました。中小企業への融資業務をやりたくて入社したのに、東京で全く違う業務をやることになりました。しばらく広島に帰れそうになかったことに加えて、若いうちに銀行の支店業務ができそうになかったので、色々と考えた末に2008年9月に今の会社に移りました。
― 転職先は何社か検討したのですか?
はい。何社か見ました。「メガバンクの人間は大手思考が強く、時代遅れの序列社会が続いており、地方銀行・出身者はバカにされる」と聞いていたので、やめました。専門的な金融機関か外資系金融を中心に考えて、実際に1~2社受験しました。今の会社はたまたま先輩がいる会社で、先輩から誘われたので、「まあいいかな」という軽い感じで受けました。
外資系金融機関に転職後の英語との関わり
― では、今お勤めの会社はどんな会社なんですか?
本社がフランスにある運用会社で、私は運用関係の仕事をしています。当初の業務内容は営業サイドの仕事でした。「英語は使わなくていい」と聞いて入社しました。最初の2年くらいの間は、本社とのやり取りもあまりせず、メールのやり取り程度で、英語を話すことはほとんどありませんでした。
その後、当時、日本に駐在していたイギリス人の同僚(今の上司)に誘われて、日本株のリサーチ業務を始めました。いわゆる、株式のアナリスト(バイサイド)です。そのチームに入ったときからは英語を頻繁に話すようになりました。
― チームは海外の方が多いのですか?
1年前に日本人が1人加わったのですが、私が加わった当時のチームメンバーは、外国人だけでした。イギリス人以外に、フランス人、カンボジア人などです。イギリス人の上司だけは日本語をしゃべれたのですが、他の人は全くしゃべれないという環境でした。ちなみに、私以外は全員フランス語をしゃべれました。私はフランス語を全くわからないので、英語で彼らとコミュニケーションを取らざるを得ない状態です。
― ではもう、毎日のように英語を使っていらっしゃるんですね。
日本企業とのやり取りは日本語ですが、そのレポートは全部英語で書いています。リサーチ担当のチームメンバーとの、ミーティングは全て英語です。不幸なことに、英語が必須の環境になりました。分析は日本語で考えているものの、アウトプットに関しては全て英語です。たとえば、企業分析に関するレポートは、長いものではA4で10枚程度になります。それをもとにプレゼンを行ったりします。
ちなみに、2年前くらいに、最年少のフランス人が本社に戻り、違う業務に異動したことで、私が議事録を書く業務を担当することになりました。当初は、地獄でした。毎週末にミーティング(英語)を録音したものを何度も聞き返しながら、議事録(英語)を書いていました。
― 英語を使う仕事をし始めてからどれくらいなんですか?
3年半くらいです。
これまでの英語学習歴
― では、そのように仕事で使えるレベルまで英語力を伸ばすために、これまでどういった英語学習をしてきたのかお聞きしたいと思います。
今の会社に入ってから、劣等感にかられて色々な英会話学校に通いました。
まず、今はなくなってしまった新宿の英会話学校に行きました。恐らく転職して、1年以内だったのではないかと思います(記憶は不確か)。グループレッスンで、初心者クラスに入りました。先生はネイティブで、土曜日の朝から晩まで英会話の練習をするという感じです。1番下のクラスなのにクラスメートに喋れる人がいて、居心地が悪かったので、2~3回目で断念してしまいました。今から見れば、おそらく全然しゃべれてはいないのかもしれませんけどね(笑)。
つぎに、虎ノ門のビジネススクール・インターナショナルに週1~2回、2010年頃から2年程度、通いました。レベル分けがあるのですが、1番下の基礎(Business English)から始めて、最後は中級か中上級まで上がりました。先生のカウンセリングでクラスが決められたのですが、基礎クラスには本当に初心者しかいなくて居心地がよかったです。
そこに最初は週1回通っていましたが、途中で週2回にしました。6か月コースなのですが、3ヶ月受講したら、次のレベルの授業も同時に受講する形にしました。3ヶ月のオーバーラップで、異なるレベルの授業を同時期に受けられるように学校にお願いをしました。
基本的に大人数(5~6人)の授業でしたが、人数の少なそうなクラスを探して、出席していました(少ない時は1人になることもありました)。
ここは、全く同じ授業が同時に週2~3コマあり、どの授業を受講してもよかったのが魅力です。「このレベルのクラスのこの週は、この範囲をやる」と事前にもらったスケジュールに完全に沿って授業が展開されていました。つまり出席できなかったら振替受講ができるといことです。仕事が忙しい時に休んでしまった際でも、融通のきく仕組みでした。仕事をしている人には、とてもありがたい学校と思います。
― そこはどんなレベルの方が多かったですか?
受講者は、TOEIC600~800点あたりの人が多かった気がします。基礎、初級の時は、受講人数が少なくありがたかったです。
ここに通って自分の英語のレベルが上がっていった実感はあったものの、それ以上に周りで英語を使う頻度(=気持ちがへこむ頻度)が多くなり、もう少し勉強を増やす必要性を感じていました。そこで、ビジネススクール・インターナショナルに通っている途中で、学校自体はやめずに、同時にカプラン(現FORWARD)にも入学しました。2012年まで、1年半ほど通いました。
― FORWARDで学んだことで印象に残っていることを教えてください。
FORWARDは1つの転機でした。発音をそれまでは完全に無視していたのですが、FORWARDで発音を学んで、「私の英語が通じないのは、このせいだったのか!」と思えました。特に熱心に発音矯正してくれた先生には今でも感謝しています。英語を話し慣れていない人にとっては本当に良い授業だと思います。
― 特に良かった授業はありましたか?
FORWARDのHidemi先生が、911という授業で、マンツーマンですごく丁寧に指導をしてくれました。まだあまり受講生がいなかったので、英語脳が必要だと言われ子供用の辞書(英英辞典)の定義を暗唱しました。そして、暗唱した定義を発音して、矯正してもらうという形式でした。最初は辞書の定義をせっかく覚えていったのに、45分ひたすら同じ発音をやらされていました。これを、恐らく1年くらいやったのではないでしょうか。人気のクラスで、いつのまにか生徒が増えてきました。
途中から加藤先生の授業、ARR(「キクタンReading」のreading partの全文を覚えていき、発音・リズムを確認してもらう授業)にハマりました。最終的には、前述の英語辞書を覚える授業をやめて、この授業に絞りました。基本的な単語の正しい発音を再確認する意味でも、良かったと思います。本のレベルが上がるにつれて、難しめの単語が徐々に頭に入ってくるのがやりがいでした。Entry、 Basic、 Advanceまでやりました。
FORWARDにただ通うだけでは、英語をしゃべれるようになるとは思えませんでしたが、ビジネススクール・インターナショナルも継続しつつ、補助的にFORWARDで発音(+インプット)を学べたことがよかったと思います。具体的には、ビジネススクール・インターナショナルで、自分の英語の実力がどの辺りかを確認しつつ勉強できたのがよかったと思います。
― 他にもどこか通ったのですか?
実は、FORWARDに通っている途中でビジネススクール・インターナショナルをやめて、新宿のアルプロスに通い始めました。土(or日)の1日授業で、3ヶ月集中でやる授業でした。
先生は教え方が上手なネイティブで、実力は今まで経験した先生方の中で最も良かったです。しかし、1~2回出席できない時があると、今の進捗状況がどこなのかわからなくなりました。結局、数回通って、やめました。結論を言うと、土曜日の朝の時間帯に通うのはなかなか難しく、継続できませんでした。私は根性がないものでして…。
― 他はいかがですか?
レアジョブ英会話もやりました。これはFORWARDのHidemi先生の英語辞書のクラスをやめてキクタンに移った頃に始めました。
FORWARDのクラスメートがレアジョブをやっていて、自分で「どのような授業にするか」を指示すると、とても便利な勉強方法と教えてくれました。FORWARDに通っているだけだと何かが足りない、と同じ危機意識をもっている人でした。そこで、他にもいい勉強方法がないかと模索していました。自分と同じように英語の勉強している人と情報交換できることが、英会話学校に通うメリットですね。
― レアジョブはいつやっていたのですか?
仕事から帰った後の夜遅くにやっていました(夜23~1時の時間帯が多かったと思います)。1年くらい続けたと思います。いったん止めていたのですが、消費税の増税前に再入会するつもりです。
― お仕事も忙しかったと思いますが、どうして続けられたと思いますか?
日々英語にさらされる中で感じる悔しさが、モチベーションになりました。
― なるほど〜。レアジョブでは、どんな内容のレッスンを受けていましたか?
自分でこういうことをやりたいとリクエストし、写真を説明したり、記事を元に話したり、ディスカッションをしたりしました。写真は自分で用意することもありましたが、記事はレアジョブが用意してくれているものを使っていました。
― 記事を使うときには、どんな形でレッスンをするんですか?
最初に記事を読んで、質問に答えて、最後にディスカッションという流れでした。
これは、普段使っている金融以外の英語も出てくるので良かったです。1年くらい続けていました。
― 英語学校やオンライン英会話をいくつも受けられていて、英語にはかなり投資されていますね。
かなり英語にはお金を使ったと思います。仕事で使わざるを得ないので危機意識が強く、くわえて若いうちの自己投資は大切と思ったことから、思い切ってかなりお金をかけました。おそらく、総額で百万円以上は使ったと思います。資金繰りに苦労した時期もありました。