タニケイ英語学習放浪記vol.3 〜残念な東大時代から外資系企業就職へ〜
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最終更新日:2013/12/31
みなさん、こんにちは!英語学習コーチのタニケイです。
前回のタニケイ英語学習放浪記vol.2では、中学でいきなり英語の落ちこぼれになってしまった私が、ある先生のおかげでまた英語好きに戻り、東大にまで受かってしまったお話を書きました。
(vol1.〜英語との出会い〜はこちらです。)
さて、大学入学以降、私と英語のお付き合いは、順調に続いたでしょうか。
大学は法学部(文科一類)を選びました。法律というよりは国際政治を学んで、国際問題を解決するような仕事がしたいと思ったのです。そのきっかけは二つありました。
まず高校1年のときに、神奈川県の国連協会が主催するニューヨーク国連見学ツアーに参加して、日本人の国連職員の話を聞いて、こんなふうに日本のことだけでなく世界のことを考えられる人になりたい、と思ったのが一つ。
また、高校2年のときに、各自テーマを決めて半年間調べてプレゼンをするような社会科の特別講義をとったのですが、私は日本のODA(政府開発援助)の状況や、当時自宅軟禁が続いていたミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スー・チーさんのことなどを調べて発表をし、そういったリサーチがとても面白かったのです。
それに、好きな英語を使って仕事がしたかったというのも、もちろん大きかったです。ということで、かなり真面目な気持ちで、法学部を選びました。
ところが...
大学に入った私は、サークルやアルバイトの楽しさに目覚めてしまい、全くと言っていい程、大学の授業に出なくなってしまいました。(先生、お母さん、ごめんなさい)
大学の1,2年生のときは、テニスサークルと、家庭教師と銀行のテレフォンオペレーターのアルバイトで忙しくしていました。1,2年生のキャンパスは、井の頭線の駒場東大前というところにあるのですが、いつもテニス用の大きなラケットバッグをかついで、駒場東大前に通っていました。
テニスサークルの朝練にはがんばって早起きをして出ていましたが、それ以外の日は毎日12時間以上寝ていて、本当にダメダメな大学生でした。ある年の誕生日には、サークルの友達に「よく寝る子なので」と、抱き枕をプレゼントされたほどです。
銀行のアルバイトは、電話での振込依頼などを受け付けるインバウンド専門のオペレーターだったのですが、とても良い条件で、電話が来ないときには本を読んだり勉強をしたり、何をしていても良いというアルバイトでした。今だったら、こんな条件なら絶対英語をやろうと思うでしょうが、その当時はその有り難さにも気づかず、他のバイト仲間とおしゃべりをして時間をつぶしていました。一人ICU(国際基督教大学)の学生の子がいて、彼女だけはよく学校の課題や予習をしていました。
大学1,2年生のときには教養課程で英語の授業がありましたが、あまり授業に出た記憶がありません。当時の教科書はこれでした。表紙は懐かしいですが、中身は全く覚えていません...。(先生、本当にごめんなさい)
3年生以降は英語の授業もなくなり、英語に触れたのは、半年だけ取った独禁法のゼミで、マイクロソフトの独禁法(アメリカの反トラスト法)違反の裁判の判例を読んだときくらいでした。
この判例は、Internet ExplorerとWindows OSとの抱き合わせに関する話がメインだったのですが、"default"という言葉を法学部生は皆「債務不履行」と訳していて、法学部の授業にあまり出ていなかった私だけが、「初期設定値」のことだと分かったという、何というか、ちょっと誇らしいような情けないような話もありました。
4年生になってすぐ、ミーハー心もあり司法試験を受けてみたのですが、あまりの難しさに、これは何年やっても受からなそうだ、と思った私は、1年留年して翌年一般企業への就職活動をしました。
その頃までに、Web制作やオンラインスクールの講師などのアルバイトをしていて、ITに興味があったのと、やはり一度海外で働いてみたい、という思いがまだ残っていて、日本オラクルという外資系IT企業に入りました。今は分かりませんが、当時日本オラクルは文系学生もエンジニアとしてポテンシャル採用をしていたので、私もエンジニアとして入社しました。そして、半年間のフロリダ勤務の可能性があるカスタマーサポート部門のエンジニアになりました。
入社1年目か2年目のとき、ベルリッツの派遣講師の方が会社の会議室でグループレッスンをしてくれるような英語研修があり、それを半年くらい受けましたが、業務優先で休みがちでしたし、授業に出席しても出席するだけで終わってしまい、全く復習などをしなかったので、英語力はほぼ伸びませんでした。むしろ、その研修があったために、それだけで自分が英語学習をしているような気分になってしまったのは、マイナスだったと思います。また、お金をかけて研修を受けさせてくれた会社には申し訳ないのですが、自腹を切っていない分、本気ではがんばれていなかったと思います。
ただ、業務では毎日のように英語を読み書きする機会がありました。ITの専門用語いっぱいの英語で、しかも同じオラクル社内の開発者たちとのやり取りでしたので、カジュアルな英語ではありましたが、頻度という意味では、大学時代とは比べ物にならないほど英文に触れるようになりました。そのためだと思いますが、入社3年目で受けたTOEICは、大学入学直後より80点UPの870点でした。
入社3年目の冬にフロリダ勤務のチャンスが回ってきて、2004年12月から2005年5月まで、フロリダ州のオーランドに赴任しました。フロリダといえばマイアミの方が有名かもしれませんが、実は州都はオーランドで、ディズニーワールドもあります。(これを読んだ方から、フロリダの州都はオーランドではないですよ、とご指摘をいただきました!数年間そうだと思って疑いませんでした。。フロリダの州都はTallahassee タラハシーというところだそうです。)
フロリダは気候も良く、住んでいたエリアの治安も良くて、時々連休があるとマイアミやキーウエストやバハマなどに旅行に行って、楽しい半年間を過ごしましたが、せっかくの海外赴任だというのに、仕事は日本のお客様の夜間緊急対応でしたので、英語を話すのは主にレストランに行ったときや、買い物に行ったとき、レンタカーの借り換えに行ったときなど、ほぼ日常会話だけでした。今となっては、もう少し現地のコミュニティに入って英語をたくさん話せば良かったなぁと、もったいなく思います。この海外赴任の半年間でも、自分の実感としては、英語のスピーキングやリスニングの力は、多少慣れたかな?というくらいでした。ただ海外に住むだけでは英語は上達しないということを、身をもって体験したのでした。
フロリダ勤務の後、IR(投資家対応)の部門に異動したのですが、そこでは前よりも仕事に余裕があったので、週2回ECCに通い始めました。四半期ごとに業績発表をするのですが、その後、証券会社のアナリストや、投資家、ファンドマネジャーのような方々との個別面談がたくさん入り、会社の業績について説明をします。時々海外からも投資家が来ることがあり、そのようなときには通訳をつけていたのですが、いずれ通訳なしで話せるようになりたいと思っていたのです。
ECCではネイティブの先生1人に対して生徒が3人までの少人数制でしたが、生徒3人のときには1回のレッスンで話せる量がとても少なく、どうしても、ネイティブの先生の英語を聞くよりも、他の生徒の英語を聞く方が多くなってしまいます。それで、レッスン自体にはあまり満足していなかったのですが、ECCに11ヶ月程通った後にTOEICを受けたところ、その前に受けたTOEICよりも点数は上がって、910点になりました。
ここまでの経験から、英語力アップには、「何をやるか」という質も大事だけれども、「触れる頻度」のほうが直接効いてくるのでは?と思い始めました。週に2回ECCに通っていたときに、1回授業を休んでしまうと、次に授業に出たときに英語を聞き取ったり話したりするのが少しハードル高く感じたのです。そこで、間を空けずに英語に触れるということは、かなり大事なのでは?と思いました。でも、英会話学校などに毎日通うのはなかなか難しいことです。できれば、学校に通いつつ、行けない日は自分でセルフトレーニングをする、というのが理想的だと、気づいてはいました。
その後も、ネイティブ講師とのマンツーマン授業を受けられるGABAに1年くらい通いましたが、やはりそれ以外の時間に自分で英語学習を続けることがなかなか習慣づけられず、あまり実力は伸びませんでした。GABAは良い先生がたくさんいて、特に相性の合う先生とは話もはずみ、楽しかったのですが、週に1回40〜50分くらいの短い英会話だけでは、気分転換にしかなっていなかったと、今となっては思います。
今、英会話スクールに通っている方は、ぜひ上手に活用してください。普段のセルフトレーニングの成果を実践で試す場として利用しなければ、こういった短時間授業の英会話スクールはもったいないと思います。逆に上手に活用できれば、モチベーションを保ち、ネイティブとの会話に慣れるのに良い場だと思います。
私は残念ながら、英会話スクールを上手に活用できず、次に受けたTOEICはまた835点に落ちてしまいました。
次回「タニケイ英語学習放浪記vol.4 〜英語学習難民からTOEICリスニング満点へ〜」はこちらからどうぞ!
Enjoy Learning English!!
タニケイ
大学、なんとか卒業できました