スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式スピーチ全文タニケイ訳 | Enjoy Learning English!!

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スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式スピーチ全文タニケイ訳

公開日: : 最終更新日:2017/04/07

みなさん、こんにちは。英語学習コーチのタニケイです!

今回は私の大好きな、スティーブ・ジョブズのあのスピーチを和訳してみました!! そうです。"Stay Hungry, Stay Foolish" の言葉で有名な、2005年のスタンフォード大学卒業式での有名なスピーチです。

私はこのスピーチを、2012年に英語学校FORWARDでの朗唱大会をきっかけに練習し始め、今ではほぼ暗唱できるようになりました。まるで自分自身が語っているかのように話す朗唱ですが、やっぱり発音練習は欠かせません。自分の思い込んでいる発音で話してしまうと、内容も伝わりにくくなってしまいます。まずはオリジナルのスピーチをよく聞いて、意味もしっかり理解して、発音を真似して話してみることが大事!!

以下の書籍で紹介している7ステップのタニケイ式シャドーイングは、リスニング力アップに一番効果がありますが、こういったスピーチを練習してみたい方にもおすすめの練習法です!

このジョブズのスピーチは、とても示唆に富んでいて、聞くたびに色々考えさせられるスピーチです。私にとって、このスピーチは自分の人生を大きく変えるきっかけをくれたスピーチで、とても思い入れがあります。特に"2nd story"が、私にとっては思い出深いパートです。このスピーチを私なりの解釈で和訳してみましたので、タニケイ版の和訳、お楽しみいただけたら嬉しいです!なお、ほぼ全訳ですが、一部、私の解釈で意訳している部分があります。

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<スティーブ・ジョブズ・スタンフォード大学卒業式スピーチ和訳>

ありがとう。今日は、世界で最も優れた大学のうちの一つであるスタンフォード大学で、君たちの卒業式に同席できて光栄です。実を言うと、私は大学を卒業していないので、これが私にとって、大学の卒業というものに一番近づいた機会になります。今日は、私の人生経験から3つの話をしたいと思います。それだけです。たいしたことではありません。たった3つの話です。

最初の話は、点と点を結ぶことについてです。

私はリード大学に最初の6ヶ月通っただけで、中退しました。しかし、その後も、実際に辞めるまで18ヶ月くらい、聴講生として大学に残っていました。では、なぜ私は中退したのでしょうか。

その理由は私が生まれる前に遡ります。私の実の母は、若い未婚の大学院生だったので、私を養子に出すことに決めました。母は私を、大卒の両親のもとに養子に出したいと強く願っていました。そして、私が生まれたら、ある弁護士とその奥さんに私を引き取ってもらえるよう、すべて手はずを整えていました。しかし私が生まれたとき、その夫妻は間際になって、やはり女の子が欲しい、と言い出したのです。そこで、養子の順番待ちをしていた今の私の両親は、夜中にこんな電話を受けました。「予定外で急に養子候補になった男の赤ちゃんがいますが、養子として欲しいですか?」「もちろん」と彼らは答えました。私の実の母は、その後で、私の育ての母が大学を卒業していないこと、さらに父は高校すら卒業していないことを知り、最終養子縁組書類にサインするのを拒否しました。数ヶ月後、両親が私を大学に行かせることを約束すると、ようやく彼女は私を養子に出すことを承諾したのです。こうして、私の人生は始まりました。

その17年後、私はたしかに大学へ入学しました。しかし私は無邪気にもスタンフォードと同じくらい学費の高い大学を選んでしまい、労働階級の両親の貯金はすべて、私の学費として消えていきました。入学して6ヶ月後、私は大学に価値を見つけられませんでした。私は人生において何がしたいのか、まったく分からず、大学がそれを見つけるのに、どう役立つのかも分かりませんでした。私は、両親が一生かけて貯蓄してきたお金をすべて使い果たしながら、ただそこにいるだけだったのです。そこで、大学を中退し、すべて上手くいくと信じることにしました。その時はとても怖かったのですが、今振り返ってみると、この決断は私の人生において最も良い決断の一つでした。中退した瞬間から、興味のない必修クラスを取る必要がなくなり、もっとずっと興味の持てるクラスを聴講し始めました。

すべてが良いことづくめだったわけではありません。私には寮の部屋がなかったので、友人たちの部屋の床で寝ていました。食事代を稼ぐためにコーラの瓶を返して5セントをもらったり、毎週日曜の夜にはHare Krishna寺院で週一回のきちんとした食事を食べるために、町の反対側まで7マイルも歩いたりしていました。私はその食事が大好きでした。このように、私が好奇心や直感に従って出会ったものの多くは、実はかけがえのないものであったことが後になって分かりました。その例を一つお話しします。

リード大学には当時、おそらく国内最高のカリグラフィー(字を美しく見せる書法)のクラスがありました。キャンパス中のポスターや引き出しのラベルは、すべて、美しい手書きのカリグラフィーで書かれていました。私は中退していて、普通のクラスは取らなくてもよかったので、カリグラフィーの手法を学べるクラスを取ることにしました。そこでは、serifやsans serifといった字体について、また異なる文字を組み合わせるときは文字間のスペースの幅を変えること、活字はなにによって素晴らしい活字となるのか、といったことを学びました。それは美しく、歴史があり、そして、科学では捉えきれない程に繊細な芸術性のあるもので、私はそこに魅了されました。

こうしたものが、私の人生で実用性を持つことになるとは全く期待していませんでした。しかし10年後、私たちが最初のマッキントッシュコンピュータを設計していた時、そのことがよみがえってきました。そしてそれをすべてマックの機能に入れました。マックは美しい活字書体を持った最初のコンピュータとなったのです。もし私があのカリグラフィーのクラスを大学で聴講していなければ、マックはいくつもの活字体やバランスの良い間隔のフォントを持つことはなかったでしょう。それに、ウィンドウズも単にマックを真似しただけなので、どのPCもそれらを持つことはなかったでしょう。もし私が中退していなければ、このカリグラフィーのクラスを聴講することはなかったでしょうから、PCは今のような素晴らしい活字体を持つことはなかったかもしれません。もちろん、私が大学にいた時に、未来を見通して点と点を結ぶことは不可能でした。しかし10年後に振り返ってみると、点と点が結ばれていることは、一目瞭然でした。

繰り返しますが、未来を見通して点を結ぶことはできません。過去を振り返ったときに初めて、点を結ぶことができるのです。ですから、点と点は、私たちの将来において、どうにかして結ばれるのだと信じる必要があります。私たちは何かを信じなければいけません。直感、運命、人生、宿命、とにかく何でもいいから信じる必要があります。なぜなら、自分が進んでいったその先で、点と点が結ばれると信じることが、自分の心に従って生きる自信を与えてくれるからです。たとえ、それによって多くの人が歩む道とは違う道を歩むことになったとしても。そして、それがすべてを大きく変えていくのです。

2番目は、愛と挫折についての話です。

私は恵まれていました。若いうちに、自分の好きなことを見つけられたのです。Wozと私は、私が20歳の時に、両親のガレージでAppleを始めました。私たちは一生懸命働き、10年間でAppleは、ガレージの2人だけの会社から、4000人以上の社員がいる20億ドルの会社になったのです。そのとき、私たちは最高の製品であるマッキントッシュを1年前に発表したばかりで、私はちょうど30歳になったところでした。私は突然解雇されたのです。「一体どうしたら自分が始めた会社から解雇されるなんてことがあるのでしょう?」そう。Appleが成長していくにつれて、私は、会社を経営する能力がとても高いと思う人を雇い入れました。最初の1年くらいは順調でしたが、段々と私たちの未来に対するビジョンが違うものになっていき、ついには決裂してしまったのです。その時、取締役会は彼の側につきました。そして、30歳にして、私は会社を追い出されました。それも完全に世間に知られる形で追い出されたのです。大人になってからずっと、生活の中心であった会社と仕事を失って、ひどい有様でした。

数ヶ月の間、私は何をすべきか本当にわかりませんでした。先輩起業家たちを失望させてしまった、自分に渡されたバトンを落としてしまった、と感じました。David PackardやBob Noyceに会い、期待に応えられなかったことを謝ろうとしました。私は世間でも有名な敗残者で、シリコンバレーから逃げ出すことさえ考えました。しかし、そんな中で、段々分かってきたことがありました。それでもまだ、自分の仕事を愛している、ということでした。Appleで起こった出来事は、それを少しも変えることはありませんでした。私は拒まれてしまった。けれども、私の愛は変わりませんでした。だからまた、やり直すことにしました。

その時には分かりませんでしたが、Appleから解雇されたことは、私の人生で起こり得た中で最高のことだったと、後になって分かりました。成功者であったときに感じていた重みは、再び、何にも確信が持てない駆け出しの一人となった気楽さに変わりました。それは私を自由にし、私は人生で最もクリエイティブな時期を迎えることができました。

その後の5年の間に、私はNeXTという会社と、Pixarという会社を始め、後に妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。Pixarは世界初のコンピュータアニメーションによる映画「トイ・ストーリー」を作り、今や世界で最も成功したアニメーションスタジオとなりました。また、不思議な成り行きで、AppleがNeXTを買収し、私はAppleに戻ることになりました。私たちがNeXTで開発した技術は、現在のAppleの復活を支える中心技術となっています。そして、Laureneと私は、素晴らしい家庭を築きました。

こうしたことは全て、私がAppleから解雇されていなければ、起こらなかったはずです。それはとても苦い薬でしたが、たぶん患者、つまり私にとって必要な薬だったのでしょう。人生は時に、レンガで頭をたたくようなことをします。それでも、信じ続けて下さい。私が進み続けることができたのは、私が自分の仕事を愛し続けたからだと信じています。誰しも、自分が愛することを見つけなければいけません。それは、恋人についてと同じように、仕事にもあてはまることです。仕事は、私たちの人生の大部分を占めるものです。本当に人生に満足するための唯一の方法は、あなたが偉大な仕事だと信じる仕事をすることです。そして偉大な仕事をするための唯一の方法は、あなたがその仕事を愛することです。もし、まだそれを見つけられていないなら、探し続けなさい。妥協せずに。それを見つけた時には、心で分かります。そして、それは素晴らしい人間関係と同じように、時が経つにつれてどんどん良いものになっていきます。だから、探し続けなさい。決して妥協せずに。

3番目は、死についての話です。

17歳の時、私はこんな言葉に出会いました。「毎日を、まるで人生最後の日かのように生きれば、いつの日かそれが現実になる」。その言葉は深く印象に残り、それ以来33年間、私は毎朝鏡を見て自分自身に問いかけました。「もし今日が私の人生最後の日だったとしたら、今日しようとしていることを私はしたいだろうか?」その答えが、何日も続けて ”No” だった時にはいつも、何か変えるべきことがあると知ることができたのです。

自分はもうすぐ死ぬのだと考えることは、人生で大きな選択をするときにとても役に立ちます。なぜなら、ほとんど全ての余計なもの、つまり外からの期待や、プライドや、恥ずかしさや失敗への恐れ、そうしたものが、死に直面すると消え去るからです。本当に大切なものだけを残して。私たちは自分に失うものがあると考えてしまいがちですが、自分はいずれ死んでいくのだということを意識すると、その思考に陥らずにすみます。私たちは元々裸で、何も持ってはいないのです。だから、自分の心の命じるままに生きなさい。

1年ほど前、私はガンの診断を受けました。朝7時半にスキャン検査を受け、私の膵臓にはっきりと腫瘍が見られました。そのとき私は、膵臓とは何かすら知りませんでした。医師たちは、これはおそらく治癒不可能なタイプのガンで、私の余命は3ヶ月~6ヶ月しかないだろうと言いました。私の主治医は、家に帰って色々整理をするよう私に勧めました。それは医者の使う暗号で、つまり「死ぬ準備をしなさい」という意味です。子供たちに、10年かけて伝えようと思っていたことを、数ヶ月ですべて伝えなさい、ということです。できるだけ家族にとって、その後が楽になるように、すべてを準備しておきなさい、ということです。そして、大切な人たちに別れを告げなさい、ということです。

私はその診断結果とともに、丸一日を過ごしました。そして、その日の夕方、生体組織検査を受け、内視鏡を喉に入れて、胃を通して腸へ、さらに膵臓に針を刺して、腫瘍から少し細胞を採りました。私は麻酔で眠っていましたが、その場にいた妻が言うには、私の細胞を顕微鏡で見た瞬間、医師たちは泣き始めたそうです。なぜなら、それはとても珍しいタイプの膵臓ガンで、手術で治癒可能なものだということが分かったからです。私はその後手術を受け、ありがたいことに、今は元気になりました。

これは、私が死というものに最も近づいた経験でした。あと数10年間はこれ以上近づくことがないよう願っています。それ以前には、死というものは、役には立つが、ただの知的な概念でしかありませんでした。しかし、この経験をしたことで、今はもう少し確信を持って皆さんに言えます。誰も死にたくはないのだと。天国に行きたいと思っている人でさえ、天国へ行くために死にたいとは思っていません。しかし、死は私たち全員にとっての終着地点です。誰もこれを逃れた人はいません。そして、そうあるべきなのです。なぜなら死は、生命における最高の発明だからです。死は生命に変化をもたらすものです。死は古いものを消し去り、新しいもののために道を作ります。いまは、新しいものというと皆さんのことですが、そう遠くないうちに、皆さんも次第に古いものとなって、消し去られます。ショックを与えて申し訳ないが、それが現実なのです。

私たちの時間は限られています。だから、誰か他人の人生を生きて無駄にするのはやめなさい。こう生きるべき、というような他人の出した結論に従って生きるのはやめなさい。他人の意見という騒音によって、自分の心の声を消されないようにしなさい。そして最も重要なこと。自分の心と直感に従う勇気を持ちなさい。心と直感は、あなたが本当はどうなりたいのか、すでに知っているのです。その他のことはすべて、後回しにしなさい。

私が若い頃、The Whole Earth Catalogという素晴らしい本があり、それは私たちの世代にとってのバイブルでした。ここからそう遠くないMenlo Parkで、Stewart Brandという人物によって生み出され、彼は詩的なタッチでその本に息吹を与えました。60年代後半のことで、パソコンやDTPが出てくる前のことだったので、すべてがタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。Googleが生まれる35年前の、ペーパーバック版Googleとでもいえるものです。理想がつまっていて、優れた道具や素晴らしいアイディアが溢れている本でした。

Stewartと彼のチームはThe Whole Earth Catalogを何号か出版し、自然な経過を辿っていって、ついに最終号を発行しました。それは1970年代半ばのことで、私はちょうど皆さんの年頃でした。最終号の裏表紙には、冒険心がある人だったらヒッチハイクをしたくなりそうな、早朝の田舎道の写真がありました。その写真の下に、こんな言葉がありました。”Stay Hungry. Stay Foolish.” それは、最終号を出す彼らからの、お別れのメッセージでした。”Stay Hungry. Stay Foolish.” 私も常に自分自身にそうあれと願ってきました。今日、卒業して新しい生活を始める皆さんにも、そうあって欲しいと願います。

"Stay Hungry. Stay Foolish".

ありがとう。

<スティーブ・ジョブズ・スタンフォード大学卒業式スピーチ英文スクリプト>

Thank you. I'm honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college, and this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today, I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.

The first story is about connecting the dots.

I dropped out of Reed College after the first six months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates. So everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife except that when I popped out, they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking, "We've got an unexpected baby boy. Do you want him?" They said, "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start in my life.

And 17 years later, I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out okay. It was pretty scary at the time but looking back, it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out, I could stop taking the required classes that didn't interest me and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms. I returned Coke bottles for the five - cent deposits to buy food with and I would walk the seven miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example.

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand - calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally - spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course, it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college but it was very, very clear looking backwards ten years later.

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So, you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something: your gut, destiny, life, karma, whatever because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference.

My second story is about love and loss.

I was lucky; I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents' garage when I was 20. We worked hard and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a 2 billion-dollar company with over 4,000 employees. We had just released our finest creation, the Macintosh, a year earlier and I just turned 30. And then I got fired. "How can you get fired from a company you started?" Well as Apple grew, we hired someone who I thought was very talented to run the company with me and for the first year or so, things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually, we had a falling-out. When we did, our board of directors sided with him. And so at 30, I was out and very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone and it was devastating.

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down, that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure and I even thought about running away from the Valley. But something slowly began to dawn on me: I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected but I was still in love, and so I decided to start over.

I didn't see it then but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world's first computer - animated feature film "Toy Story" and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT and I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful - tasting medicine but I guess the patient needed it. Sometimes life is gonna hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for work as it is for your lovers. Your work is gonna fill a large part of your life and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it and like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So, keep looking. Don't settle.

My third story is about death.

When I was 17, I read a quote that went something like, "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me and since then for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself, "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything: all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure; these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked; there is no reason not to follow your heart.

About a year ago, I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctors' code for "prepare to die". It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next ten years to tell them, in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

I lived with that diagnosis all day. Later that evening, I had a biopsy where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach, into my intestines; put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated but my wife who was there told me that when they viewed the cells under a microscope, the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and thankfully, I'm fine now.

This was the closest I've been to facing death and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept: no one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be because death is very likely the single best invention of life. It's life's change agent: it clears out the old to make way for the new. Right now the new is you but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it's quite true.

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

When I was young, there was an amazing publication called "The Whole Earth Catalog", which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late '60s, before personal computers and desktop publishing so it was all made with typewriters, scissors, and Polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along. It was idealistic, overflowing with neat tools and great notions.

Stewart and his team put out several issues of "The Whole Earth Catalog" and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid - 1970s and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words, "Stay Hungry. Stay Foolish". It was their farewell message as they signed off, "Stay Hungry. Stay Foolish". And I have always wished that for myself. And now as you graduate to begin anew, I wish that for you.

"Stay Hungry. Stay Foolish".

Thank you all very much.

なお、このスピーチの動画を字幕つきで観てみたい方は、EnglishCentralがおすすめです!
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Enjoy Learning English!!

タニケイ

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タニケイプロフィール

谷口 恵子(タニケイ)

プチ・レトル株式会社 CDO
ワクワク英語学習コーチ
TOEIC ・TOEFLリスニング満点
Street Academy Platinum Teacher

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